浮世絵・橋シリーズも第3回。ぐっと南へ下って、江戸時代には大川(隅田川)最下流だった橋へ向かいましょう。
大型船がたくさん停泊していますが、ここは大川の河口、永代橋のたもとです。江戸湾に設けられた港のうちで、ここ、大川河口は、全国からの物資が集まる江戸最大の流通ターミナルでした。江戸の人々にとっても、帆柱の立ち並ぶ光景は永代橋の風物であったそうです。様々な物資の中でも、経済の中心であった米は、水揚げ後、深川・佐賀町の米問屋街の倉に納められました。そこから、今でも佐賀町会の祭り半纏には「米」の字をモチーフにした柄があしらわれています。また、毘沙門天・龍光院から程近い深川江戸資料館には、当時の佐賀町の町並みが再現されており、江戸の人々の暮らしぶりをのぞくことができます。深川で水揚げされた品々は、小船やいかだに積み替えられて、商家やその倉へ運ばれました。江戸の町は縦横無尽に掘割がめぐらされており、水運は最も重要で最も便利な物流ルートだったのです。
一転、夜の風景。川面の小船はかがり火を焚き、夜更けに漁をしています。季節は、早春。まだ冷え込みも厳しいこの時季の、大川の名物といえば白魚です。半透明の、あの小さな白魚は、当時大川で普通に獲れる魚でした。もっとも、この白魚漁は、幕府の指定を受けた地域の漁民にだけ許されていたそうです。そのひとつが、大川河口の佃島の漁師。この絵も、永代橋の橋げたの間から佃島方面を望んだものです。家康公が江戸に入られた際、摂津国(現在の大阪府)の漁師を佃島に入植させたそうで、今も佃島の氏神様は、大阪市に総本社が鎮座する海上安全の神・住吉神社です。そういえば、深川の名の由来となった干拓の指揮者・深川八郎右衛門も摂津の出身。摂津の人達は、新しい土地で事業を起こすチャレンジ精神が豊かなのかもしれませんね。 ところで、この「白魚」という字。あなたは何と読みますか?「シラウオ」? それとも「シロウオ」? これはどちらも正解です。が、シラウオとシロウオはまったく別の魚なのです。シラウオはシラウオ科の硬骨魚で半透明の体。シロウオはハゼ科の硬骨魚で透明。どちらも加熱すると白い身になります。芭蕉も句に詠んだ大川名物・白魚は前者、シラウオ。踊り食いのほか、天麩羅や卵とじにして食しますね。シロウオとは、朝の食卓の友・シラスのことなのです。シロウオ(シラス)の場合は「素魚」と書くこともあります。どちらも美味し〜い(^Q^)! あけぼのや白魚白きこと一寸 芭蕉 この句の季語は「あけぼの」ではなく、「白魚(しらうを)」。「春は、あけぼの」という名文句があるので勘違いされやすいのですが、「あけぼの」は季語ではありません。シラウオは早春を旬とし、白魚漁もこの時季の風物。このため、「しらうを」は早春の季語になっています。芭蕉さんも白魚がお好きだったのでしょうかね? もっともこの句は、大川の白魚のことではなく、伊勢桑名で詠んだ句なのだそうですが……(^_^;。
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