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コラムイメージこのコーナーでは深川七福神、深川地区にまつわる様々な事柄やエピソードなどをコラム風にまとめて行きます。
随時更新して行きますのでお楽しみにどうぞ。
ようこそ深川へ
 時代小説などでお馴染みの「深川」は、江東区の南西部、隅田川に沿った地域の総称です。江東区は昭和22年にできた区で、それ以前、この地域はまさに深川区と呼ばれていました。寿老神・深川神明宮のページにもありますが、今回は、七福神めぐりの地・深川の歴史をちょっとお話します。

深川神明宮 時代はおよそ400年前、徳川家康公が江戸に幕府を開いた頃にさかのぼります。慶長元年(1596年)、摂津(現在の大阪府)の漁民であった深川八郎右衛門ほか6名が、家康公の許可を得て、隅田川東岸の干拓を始めました。当時の深川は隅田川河口の砂州で、漁民がわずかに住むようなわびしい村だったようです。その後、家康公が当地を訪れた際、土地の者に尋ねられました。
「これ、この土地は、名を何と称するか?」
「恐れながら、干拓で開けたばかりの土地でございますので、まだ名がございません」
「ふむ。では、干拓の指揮を執った八郎右衛門の姓をとって、深川村と名付けたが良い」
……こんな会話であったかはわかりませんが、以来、この土地は「深川」と呼ばれることになったそうです。

 みなさんは江戸と聞くと時代劇に見るような、将軍様のお膝元にふさわしい大都会を想像されるでしょうが、家康公が関白秀吉公から関八州を与えられ、深川村が開かれた当時は、町らしいものはない漁村でした。今の皇居周辺は干潟で、銀座・日比谷界隈まで潮が入ってきたそうです。家康公による都市整備とともに、深川をはじめとする江戸湾の干拓が行われ、江戸は急速な発展を遂げます。町が開けると、職を求める人々が地方から殺到するのは道理。が、江戸の市街地は、武士や、元から住む者、商人でいっぱい……そこで地方出身者は、まだ住居に余裕がある深川のような新興地に住み始めました。このような人々には職人が多く、深川は職人の町、庶民の町として発展していきます。

小名木川と清洲橋 隅田川河口に開けた町なので、深川は江戸の水運ターミナルの役割も荷ってきました。江戸市街と深川を縦横にめぐる掘割には、荷舟がひっきりなしに行き交っていたのです。また、当時の建築は木と紙だけで出来ているので火事も多く、ひとたび火事が起きれば大量の木材が必要とされます。そこで、江戸全体の材木をまかなう木置場、木場が深川にもうけられ、大変な繁栄を見せました。

 明治、大正、昭和と時代は流れ、昭和57年。ついに木場は夢の島埋立地の新木場へ完全に移転し、長い歴史に幕が引かれました。以降、一時は人口の減少がみられた江東区ですが、最近になって再開発や超高層マンションの建築ブームが沸き起こり、再び人口は増加。庶民の町・深川は、ますます活気ある街に成長しています。その街中には深川七福神をはじめ、たくさんの名所旧跡や不思議、そして人情がみなさんを待っています。さあ、スニーカーに履きかえて、深川探検にいざ出発!!

 

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