江戸の昔を今に伝える、浮世絵。広重に代表される風景画や、歌麿の美人画などは、今でいうグラビアのような感覚で人気がありました。豊国らの役者絵・相撲絵は、人気スターのブロマイドというところ。当時はそのとりどりの色彩から「錦絵」と呼ばれ、江戸名物の一つで、江戸にやって来た地方の商人や旅人は、地元への土産に色鮮やかな錦絵を求めたそうです。なるほど、これならかさばりません。この深川の地も、よく浮世絵の題材に取り上げられました。深川や向島のような隅田川東岸は「川向こう」と呼ばれ、別荘を設ける者もあるほど、江戸中心街とは違う雰囲気が漂う町だったようです。
寿老神・深川神明宮をお参りして、鳥居を出て右へ。隅田川に沿った道を南に向かうと、小名木川にかかる万年橋に行き当たります。小名木川は江戸と房総を結ぶ水運の要衝で、大小様々の荷船がひっきりなしに行き交っていました。また、こうした環境から橋の南側、現在の清澄・白河各町には船大工が多く、「大工町」と呼ばれていました。布袋尊・深川稲荷神社一帯は西大工町といい、お稲荷様は「西大稲荷」と呼ばれたそうです。
万年橋は、浮世絵にもよく登場する深川の名所。葛飾北斎の描いた『富嶽三十六景内深川万年橋下』も、万年橋を描いた一枚です。太鼓橋の間からのぞく富士山の姿という、北斎らしいダイナミックな構図。ちょうど小名木川の水面から大川(隅田川)の合流方向を見たアングルで、まるで自分も船に揺られているよう……。橋の手前には菰包みを満載した荷舟が一艘いますが、きっちりとした包みの様子から、市川あたりの塩を運んできたのかもしれません。大川にも船が見えます。橋の上も行き交う人でいっぱい。深川の賑わいが伝わってきますね。また、手前右側には、なにやら釣りをする人が。小名木川は「うなぎ沢」がなまった地名という説もあるほど、うなぎが捕れたそうですから、あるいはこの太公望、うなぎの付け焼きできゅっと一杯……とでも考えているのかも?
さて、次の絵。こちらも万年橋です……が、どこに橋があるの? はい、手前の黄色と茶色の部分、これが欄干なんですね。その隙間から、ちらりと見える富士山。橋の北側から大川を望んだアングルですね。そして、何故か、亀。紐で吊るされた亀は、「鶴は千年、亀は万年」で、『深川万年橋』……というわけです。『東海道五拾参次』でも愛嬌ある人々をいきいきと描いた、安藤広重らしい、ユーモアの効いた作品です。大川には、小名木川のような掘割では見られない大型の帆掛け舟も行き交い、水上交通が盛んであったことを物語っています。また、どちらの浮世絵にも富士山が描かれています。当時は、高層ビルも公害もありませんから、江戸の町のどこからでも富士山が見えました。日本一のお山・富士山と、将軍様のお城・千代田城がそろった風景が、江戸っ子の誇りだったのです。
深川七福神会 〒135-0033 東京都江東区深川2-16-7心行寺中電話03-3641-2566 url http://www.fukagawa7.net
Copyright (C) 2006 Fukagawa shichifukujinkai. All Rights Reserved