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コラムイメージこのコーナーでは深川七福神、深川地区にまつわる様々な事柄やエピソードなどをコラム風にまとめて行きます。
随時更新して行きますのでお楽しみにどうぞ。
ようこそ深川へ

浮世絵シリーズ第2回は、世界的に知られた1枚を取り上げます。

 ご存知、安藤広重の『大はしあたけの夕立』。見たことがない……と言う人はいませんよね? この1枚が何故、世界で知られるものになったのか。それは、江戸時代の日本が通商を行っていた、たった2国のうちのひとつ、オランダに理由があります。
 
 当時の日本の主力輸出品は刀剣や焼物といった工芸品でした。焼物の場合、紙で包んで運ぶのは今も同じですが、この包み紙がきっかけだったのです。現在では美術品として何百万円もの値がつくこともある浮世絵ですが、当時は毎週発売される新作ポスター程度の感覚の品でした。そこで、ちょっと流行を過ぎた浮世絵で焼物を包んで輸出することもありました。そこで驚いたのはオランダ人。輸入した陶磁器の繊細さも素晴らしいが、この包み紙は一体何なのだ! ただの紙ではなくて、アートじゃないか!! その頃のヨーロッパは、中国・インドの品々を飾るオリエンタルブームの真っ只中。こうして浮世絵ブームが巻き起こったのです。
 
 さて、当時、オランダに売れない画家がいました。彼は浮世絵というものを目にし、すっかりとりこになってしまいました。ヨーロッパの絵画には見られない色使い。大胆な構図、新鮮な題材。それらを取り入れた新しい絵画を作り出そうと、彼はこの『大はしあたけの夕立』を模写しました。それ以後の彼の筆は、前にも増して力強い線を描くのですが、残念ながら、世間からの評価はまったく得られませんでした。死後、そのダイナミックな作風がやっと認められた彼の名は、ご存知、『ひまわり』のフィンセント・ファン・ゴッホ。あのゴッホも模写した浮世絵は、19世紀の印象派画家達にジャポニズムという大きな影響を与え、世界の美術史に足跡を残すことになったのです。
 
 この絵に登場する「大はし」とは、寿老神・深川神明宮に程近い新大橋のことです。深川と日本橋浜町を結ぶこの橋は、元禄6年(1693)に架けられました。当時、両国橋のことを「大橋」と呼んでいたので、そのすぐ下流の橋ということで「新大橋」と呼ばれたものです。また、「深川大橋」の呼び名もありました。絵はちょうど浜町側から深川を望むアングルで、折しも降り出した激しい夕立に、道を急ぐ人の姿が描かれています。ざあざあ……という音さえ聞こえてきそうな大粒の雨に首をすくめて歩く人々の姿は、おなじ広重の『東海道五拾参次』の一幅を思い出させます。遠く雨の帳にかすんで見えるのは御船蔵でしょうか。
江戸時代初期、この近辺に巨大な木造軍船「安宅丸(あたけまる/別名・天下丸)」が係留され、安宅丸解体ののちには、幕府の御用船置場である御船蔵が対岸から移転してきました。このことにちなみ、この界隈を往時は「御船蔵」と呼び、神明宮のお祭りで新大橋一丁目の人々がまとう半纏の大紋には、今も「あたけ」の文字が誇らかに使われています。


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