福徳…勇気授福
安置…龍光院

毘沙門天はインド名バイスラバンナ(ベイシラマダヤ)の音写で、もともとヒンズー教の財富の神であったクヴェーラ神が仏教に取り入れられ、仏神となったものです。
経典によると、毘沙門天は四天王(持国天・増長点・広目天・多聞天)の随一として須弥山の中腹に住み、大勢の夜叉や羅刹を率いて北方を守護しています。常に仏の道場に在って多くの法を聞き、あるいはその福徳の名声が遠く十方に聞こえることから多聞天と訳され、また財を授けることから施財天ともいわれます。その姿は、身に甲冑をつけ、左手に宝塔を捧げ、右手には三叉戟(三つまたの鎗)を持ち、忿怒の形相で邪鬼を踏みつけ毘沙門立ちをしています。

毘沙門天はわが国では仏教守護から転じて、国土守護の武神として、とくに武将の間に信仰されるようになりましたが、中でも上杉謙信が毘沙門天を守護神としてあがめ「毘沙門の申し子」といわれたことや、志貴山の毘沙門天に祈願してうまれた楠正茂が、幼名を多聞丸と名づけられたことなどは、あまりにも有名です。

また毘沙門天は護法と施福を兼ねる仏神として、七福神の一神にも数えられ、民衆に勇気や決断力を与え、財福を授ける福神として広く信仰されています。

龍光院は、浄土宗雲光院の塔頭寺院で、慶長十六年(1611年)馬喰町(中央区)に創立、明暦三年(1657年)の大火に焼失し、岩井町(千代田区)に移転、天和二年(1682年)の大火に焼失し、同年深川の地に移転しました。

龍光院が現在地に移ったとき、鬼門除けとして境内東北角に、三尺ほどの石造の毘沙門天が安置され、昭和十一年には境内の東南角に一間半四面の毘沙門堂が建立されました。昭和二十年、戦災のため、堂宇は焼失しましたが、復興し、昭和五十年、木彫の立派な毘沙門天が安置されました。


 

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