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深川稲荷神社付近の旧跡

・芭蕉墨直しの碑、芭蕉由緒塚の碑(清澄3-4 臨川寺)
芭蕉の偉業を記した墨直しの碑は、京都双林寺の筆跡を写したもの。芭蕉由緒塚の碑は、芭蕉がこの臨川寺に、朝夕参禅した事や墨直しの碑の由来を記したもの。両碑とも戦災により破損、近年再建された。

・油谷倭文子の墓(清澄3-4 常照院)
国文学者加茂真渕門弟、真渕の銘文と倭文子の辞世の歌が記されてあり、宝暦二年(1752年)七月十八日、二十歳没。

・村田春海の墓(清澄3-4 本誓寺)
国文学者加茂真渕門下、干鰯問屋主人、国文学、詩歌、書をよくし、文化八年(1811年)二月十三日、六十六歳没。父春道、兄春郷も国文学者、一族の墓が現存。東京都指定旧跡。

・呂一官の墓(清澄3-4 本誓寺)
中国の人、徳川家康に招かれた医者、口紅化粧品の製造販売。元和九年(1623年)十月十日没。

・福田行誡の墓(清澄3-4 本誓寺)
明治仏教界に活躍、学者、和歌、書に秀れ、明治二十一年四月二十五日、八十三歳没。

・迦楼羅天石仏(清澄3-4 本誓寺)
大翼をもち、鋭い嘴で竜を食べるという迦楼羅天の大きな石仏、造立年代不詳。

・清澄庭園(清澄3-3)
明治十一年、岩崎弥太郎が造園、弟弥之助が増築、同二十四年完成、奇岩名石がとくに有名、現在都立公園。

・わが国セメント工業発祥の旧地(清澄1-2)
明治八年政府は、はじめてセメント製造を開始、同十六年浅野総一郎が、払い下げをうける。記念碑がたっている。

・平賀源内電気実験の地(清澄1-2)
安永五年(1776年)わが国ではじめてエレキテルを作り、電気の実験を実施、由来を記した石柱を江東区において建立。

・清洲橋(清澄1丁目隅田川)
昭和三年架橋、長さ186.6メートル、優美な女性的な橋。

・小名木川(清澄1丁目、常盤1丁目河口)
天正十八年(1590年)徳川家康が、江戸入府早々、塩の搬送路として、小名木四郎兵衛に、水路を開かせたという。江戸時代から、隅田川につぐ重要な河川。

・万年橋(清澄1丁目、常盤1丁目)
寛永のころ(1624年~)すでに架けられたという古い橋。広重と北斉が錦絵に取材して有名。

・尾車部屋(清澄2-15)
三重県出身大関琴風は、昭和六十年引退。相撲部屋を設け、力士養成に尽力。

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